モーナ・ナラマク・シメオナの言葉

現代版のホ・オポノポノを編み出した、モーナの言葉とエピソード。

KRさんとモーナの出会い

わたしは19歳のある日、ふと目覚めて「ハワイへ行こう!」と思い立ち、翌日それを実行していました。
(中略)
数日して、オアフのビーチを散歩していたら、「紹介したい人がいるの」と初対面の女性に話しかけられ、紹介してもらったのが、モーナです。
(中略)
モーナと初めて出会った当時は、まだ今のホ・オポノポノの形はできていませんでした。モーナのそばで瞑想をしたり、世界中からいらっしゃるクライアントのボディーワークのお手伝いなどをして、毎日共に過ごしました。
モーナが言うことはいつも、頭ではなく、自分がどこかで知っていたような、生きることに必要な栄養素を与えられているような気持ちで自然と受け入れられるものでした。そこから今のプロセスが一つひとつ生まれたのです。それから40数年わたしは今もホ・オポノポノを続けています。

『はじめてのホ・オポノポノ』(宝島社)pp.82–83〈KRさんの言葉〉

 

 

ホノルル市内に着くとすぐに宿泊先を見つけ、数日間滞在しました。ある朝、ワイキキビーチの砂浜を散歩していると、一人の女性が浜辺の向こうからやってきて、わたしにこう言いました。
「あなたがきっと会いたい人がいるから、よかったら一緒に来ませんか?」
わたしは「はい」と返事をして、何の疑問もなく彼女について行きました。
カハラの近くにあるとても静かで清潔な建物の一室で、その女性はひっそりと座ってわたしを待っていました。それがモーナ・ナラマク・シメオナでした。
『あなたは何かスピリチュアルなことを学んでいるの?』まず最初にモーナはわたしに優しく問いかけました。
「いいえ」とわたしが答えると、『ほんとうに?』と再びモーナは聞きました。

『ホ・オポノポノ ライフ』(講談社)pp.17–18〈KRさんの言葉〉

 

 

(前略)

彼女(モーナ)と一目会ったその瞬間に、私は彼女から何かを学ばなくてはいけないわ、という直感を得ました。それは重苦しいものではなく、理屈ではわからないけれど、未来にすっと明るい線が見えたような、でも、よく見ると細かくいくつもの点がつながっている線で、それは今自分がいる点となんの摩擦もなくつながってくれるようなものに感じました。
毎日、モーナと一緒に時を過ごしながら、瞑想をしていました。ほとんどの時間、私たちは話しませんでした。ウニヒピリの存在、つまり3つのセルフ(意識)の存在も、瞑想の中でモーナが伝えてくれました。 

『はじめてのウニヒピリ』(宝島社)pp.163–164〈KRさんの言葉〉

 

 

私が初めてモーナ女史と会ったのは19歳のときです。
ロイヤル・ハワイアンホテルというところで、当時、モーナ女史はスパを経営していました。私は、そこに勤めながら、国家ライセンスも取りました。私は当時3人の幼子を抱えたシングルマザーで、仕事や資格が必要だったのです。
そこで3年ほど、モーナ女史からホ・オポノポノを使ったマッサージ法を学びました。これはほかのスタッフたちも学びましたが、私だけは同時にもう一つ、「クリーニング」することも、モーナ女史といっしょにやるようになりました。
私は、最初にモーナ女史に会ったとき、霊的なつながりを感じたし、もともと瞑想が好きだったので、とてもラッキーだと思いました。
(中略)
ホ・オポノポノのデザインをしたのはあくまでもモーナ女史ですが、私はそれを瞑想して確かめたり、修正したりするお手伝いをさせていただきました。モーナ女史との共同作業は、とても楽しいものでした。彼女はとても存在感があり、国籍とか、文化とか、政治とかをまったく超越した宇宙的な考え方を持つ人でした。

ゆほびか』2010年6月号(マキノ出版)pp.22–23〈KRさんの言葉〉